

2003.8/7号 Seward Phoenix 新聞
36年ぶりに大園が姉妹都市に帰ってきた


The Seward Phoenix LOG新聞 発刊日2003年8月7日(木) 紺色は写真説明文 赤色は大園 クラーク氏は緑色表示
L O G 新 聞 和 訳 文 (つたない訳文で申し訳ありません)
「36 years later :
Ohsono returns to visit sister city」 Colleen Kellyがレポート
“36年振りに 大園 が 姉妹都市に戻ってきた”
30年以上前にスワードと帯広(日本)との姉妹都市の関係樹立を大園雍彦がどのようにして手助けしたか知ることは難しい事では有りません。 この社交的な70歳の男性は挑戦をひるむ事は有りませんでした。彼の何でもトライするチャレンジ精神は、言葉や文化の違いによる障害を心配する人々に新鮮な感覚を与えました。 36年間の空白の後に、大園は、帯広代表団員の一人として、スワード市生誕100周年記念を祝福するため先週ここスワード市に帰って来ました。
金曜の歓迎晩餐会では彼の努力に感謝の意を表して参加者全員からスタンディング・オベィションで大拍手が送られました。
彼が通訳の助けなしでスピーチを行う事を説明した時、大園の瞳はきらりと輝きました。どうやら彼は最後までスピーチを完成していなかった様です。大園は「過去30年間に英語を使用する機会が少なかったので、ほとんど英語を忘れました」「あなた方が本当に私の英語を理解して頂けるのかどうかを心配です」と続けました。 参加者の笑いと喝采は、彼の腕が落ちていなかったことを示しました。
(写真左)帯広市役所を引退した肱岡章宏さんと帯広国際親善交流会の一員の大友俊雄さんは先週 列車から降りた時、デビー・ボンドに出迎えられた。帯広市長の砂川敏文氏と加藤みちさんの盆踊り風景。(Colleen Kelly/Sewad Phoenix LOGによる写真)
盆踊りは帯広で収穫を祝うお祭りの際に披露される代表的な踊り (9ページの帯広を見て下さい)
9ページ (1ページより)
(写真上)100年祭にスワード市を訪れた帯広訪問団の一員として招待された大園は「このような老人をスワードで誰が引受けてくれるか心配でした」と言いました。大園氏は1876年に日本で名声を博したウィリアム・クラーク氏を曾祖父とするスワード市長スチュー・クラーク氏のゲストとして喜んで迎えられました。
(写真左)青空の下で土曜日のバーベキュー大会は開かれました。その後、帯広と釧路からの訪問者はスワードのホスト達に盆踊りを教えました。 メアリー・ダニエルと娘メルシー・トレッドウエルさんが先週スワード鉄道駅で菊地由紀子さんを出迎えた時感涙しました。トレッドウエルさんが交換留学生として帯広の菊地さんの家庭に滞在し以来21年が経過していました。菊地さんは今、日本の高校の英語の先生をしています。
1967年以前は、スワード市の様な小さな町と日本の北にある帯広市が結びつくと思う人はほとんどいませんでした。 スワード市の人々が帯広市との姉妹都市関係構築の協力を求めて大園の知り合いに連絡を取った時、大園は現地の水産業を調査する為4回スワード市に足を運んでいました。
大 園 は 適 任 だ っ た。彼は北海道大学を卒業しており、帯広を第二の故郷と考えていました。彼は帯広市に住んでいた彼のお兄さんにスワード市の依頼内容を手紙で送り、お兄さんはその手紙を帯広市役所に届けました。 国際姉妹協会が1968年にスワード市および帯広市の姉妹都市関係を認可した時、R.W.カークパトリック氏がスワード市の市長でした。
Ties to Japan
extend many years (日本との結びつきは長年の間に発展)
スチュー・クラーク市長は、著名な探検家 和田十次郎?とアルフレッド・ローウェルがスワード市からIditarod金採掘地域まで道が作れる可能性を探る為に犬ぞりを走らしたのが1909年で、日本との結びつきはその時までさかのぼると言いました。クラーク市長によれば、ハリー川部氏は1919年にスワード市に来て、日本との貿易がすべて停止される第二次世界大戦まで現地でのビジネスと国際的ビジネスの両方を行っていました。戦後、川部氏はワシントン州・シアトルに移動し、ビジネス事業を再開しました。
彼の甥のアルバート川部氏は、ハリー氏を表彰して作られた現在の「カワベ公園」の真南に位置する、スワード市内のダウンタウンに1968年に輸入品を扱うお店を開きました。
ハリー川部氏は地震復興事業の一環として、大園自身が1960年代のスワード市の調査を行い、日本の会社がスワード市に投資出来るよう努力されました。大園が新しい水産処理工場をここに建設できるかどうか、漁業産業の市場調査を行う事を依頼された時、彼はアラスカで丁度新しい事業に乗り出していました。
大園は、1964年型フォードギュラクシー車と写っているエレーヌさんとガレンアルバートソン氏、その隣りに立っている若い時の本人の写真を持参されました。
今回の訪問時に、大園はスワード市のホストと交流している帯広と釧路(姉妹港湾都市)の訪問団33人のメンバーのビデオテープ撮影をしていました。さらに彼は歓迎晩餐会でイコ・川部(アルバートの未亡人)と会う機会にも恵まれました。
Change of viewpoint 見方を変えて
代表団の日本からスワードへは40時間を越える長旅でした。帯広市長の砂川敏文氏は歓迎会で下記の様なスピーチを行いました。彼が空港で乗り継ぎの飛行機の搭乗を待っていた際に「アラスカのスワードは本当に遠い所に有るな!」と改めて思ったとの事です。しかし、先週の木曜日にスワード駅に列車が近づいた時、窓の外の歓迎の人々を見て、彼はスワード対する見方が大きく変わりました。「スワードは帯広に非常に近い。我々の心にとても近い親しみを感じる町です」と砂川市長は言いました。
「スワードと帯広が姉妹都市になって35年になりますがこの二つの都市は非常に強い絆で結ばれている」とも砂川氏は述べています。彼は、スワードに学生交換プログラムで参加している帯広の若者に対するスワード市の素晴らしい対応に対しても感謝の意を表しました。メアリー・ダニエルさんの娘メルシー・トレッドウエルさんは21年前の交換留学生で、昔にお世話になった人に恩返しをする事が出来ました。高校生として、トレッドウエルさんは日本の菊地由紀子さんの家にホームステイしました。 今回菊地さんはトレッドウエルさんのお母さんの家に滞在します。交換留学生制度は1972年にスタートしました。「その間に関係する両親、学生本人そしてその家族の数を考えればこの活動は非常に意味の有るものです」とダニエルさんは述べています。
日本からの訪問者が滞在した4日間は好天に恵まれて、観光を楽しむ事が出来ました。しかし、「色々な人々との出会いが一番楽しかった」、と参加者は言いました。
砂川氏は「我々は一番良い時期にここに来る事が出来ました。この思い出を一人一人の心の中に刻んでいきたいと思います」と言いました。
国内外新聞記事
2003.7/31 北 海 道 新 聞 & 十 勝 毎 日 新 聞 記 事


赤枠記事
姉妹縁組のきっかけをつくった大園雍彦さん(72才)=千葉県習志野市在住=が合流することになっている。
赤枠記事
36年前、両市の姉妹縁組の橋渡しをした大園雍彦さん=千葉県在住=も特別ゲストとして招待され、スピーチを依頼された。「両市の実りある関係が永遠に続くことを期待します」と締めくくった大園さんに、ス市側の出席者全員が1分間以上のスタンディング・オベーション。これには大園さんも「想像以上の歓迎ぶり」と目を丸くした。
写真前列右より
釧路市副市長、大園、砂川市長夫人、帯広市砂川市長、クラーク市長、キャロル夫人、帯広市鈴木議長、鈴木議夫人


赤枠記事
そもそも、両市の交流は、二人の男性の、ちょっと不思議で偶然ともいえる出会いから始まっているのだ。「両市の橋渡し役」として今回、招待された大園雍彦さん(72)は唯一、道外の千葉県から参加した。水産会社の社員だった大園さんが六十七年、出張先のスワード市で出席したパーティ会場で、市の関係者と思われる男性から「帯広との関係を取り持ってほしい」と、唐突に依頼されたのだ。高校教師だった大園さんの兄がたまたま当時、帯広に勤務しており、その話を帯広市に伝えたのがきっかけとなって68年3月、両市の間で正式に姉妹都市提携が成立した。ところが肝心の“仕掛け人”の男性とは、その後、2度と会うことも連絡を取ることもなかった。スワード市に紹介するなどしたが、いまだに男性がだれで、なぜ依頼してきたのか、いくら調べても分からず、大きな謎となってしまった。今回の訪問でも、その謎は結局、解けぬまま。しかし大園さんは「こんなに歓迎を受けるとは思っていませんでした。両市の友情に、少しは貢献することができたのかも」と感無量の様子だった。