帯広市&スワード市との交流 (3)
スワード開基 100 周年記念式典に招待されるまで
2003(平成15)年6月 帯広市国際交流課から訪問団スケジュールのメールがあり、私は個人的に最初の海外勤務地Kodiak市を728日に訪れ、731日にアンカレッジで帯広市訪問団と合流してスワード入りすることにした。


(1) 7
月21日発 帯広市役所国際交流課 森田氏よりのメール

おはようございます。いよいよですね。さて、スワード市から連絡が入りまして、ホームステイ先がほぼ決まりました。大園様は、クラーク市長宅になりました。VIP待遇のようですね。また、歓迎会では、クラーク市長が、大園様に対する賛辞のスピーチを用意しているようです。大園様には、その後すぐに、スピーチの場が用意されています。よろしくお願いします。英語でも日本語でもかまいません。日本語の場合は、帯広市のクリントンが通訳をします。また、31日の夜ですが、われわれは、ホテルで食事をする予定です。少し時間が遅くなりますが、(8時過ぎると思います)もしよろしかったらご一緒しませんか?以上よろしくお願いします。                                         帯広市役所国際交流課 森田


(2) 8月1日 アンカレッジからアラスカ鉄道でスワードへ

 車ならハイウェイで2時間半の行程を、列車で4時間半、雄大なアラスカを見せるため、景色の良い場所や氷河の所はで徐行したり停車したりで、放送があり、のんびりした時を過ごした
(私が何回か訪れた時はアラスカ大地震の後で鉄道は壊滅、使用できなかった)


(3) スワード到着後すぐ市役所で歓迎会が開かれ、帯広砂川市長、鈴木議長、釧路市副市長に続き、大園も
クラーク市長より記念品を贈られる。
スワード市よりの贈り物 クラーク市長より贈呈
贈り物に付けられたカード スワード市より感謝の言葉

(4) 81日 日本からの訪問団に対し歓迎晩餐会が催される。大園も英語でスピーチ 

この直前、クラーク市長自宅でくつろぎ話していると、
クラーク市長は、かのウィリアム・スミス・クラーク博士の曾孫であることがわかり
ビックリしたり、感激したりしました。 急遽スピーチを変更したり、汗だくでした。

クラーク市長挨拶 GUEST OF HONORの席に着く
クラーク市長挨拶 GUEST OF HONORの席に着く
砂川敏文 帯広市長スピーチ 大園 も英語でスピーチ
砂川敏文 帯広市長スピーチ 大園 も英語でスピーチ
久しぶりの英語のスピーチが果たしてスワードの人々に理解してもらえるかが心配だったが、
笑いと拍手に励まされ無事終了。

(5)後でご紹介する現地新聞でも「参加者の笑いと喝采があり」最後には「参加
者全員からスタンディング・オベィションの大拍手が送られた」と表現してくれました。
スタンディング オベーション スタンディング オベーションにお礼
歓迎ディナーパーティの後ステュー・クラーク市長夫妻と記念撮影
歓迎ディナーパーティの後ステュー・クラーク市長夫妻と記念撮影
クラーク氏邸宅から眺めたスワード港 ハリバットと記念撮影・後日ハリバット釣りに挑戦したが、私一人が釣れなかった。
クラーク氏邸宅から眺めたスワード港 ハリバットと記念撮影・後日ハリバット釣りに挑戦したが
、私一人が釣れなかった。
クラーク氏邸宅・眺望抜群 クラーク氏・キャロル夫人と
クラーク氏邸宅・眺望抜群 クラーク氏・キャロル夫人と

(6)クラーク市長夫妻紹介

クラーク市長宅でウィリアム・スミス・クラーク博士の古い写真や、先生を紹介した分厚い英語の書籍を見せて頂きましたが、英語が堪能でない私にはほんの一部しか判りませんでした。

クラーク市長は兄弟や親戚がガンではやく亡くなった事もあり、人よりはやく55才でリタイアし、10年間アメリカ各地をモーターホームで廻り、アラスカ・スワードが気に入り定着、10年間スワードに住み続けておられます。スワードには大学教授など多くの方がリタイア後住み着いています。


クラーク市長の前夫人がお亡くなりになってから、
1992年にキャロル夫人と結婚されています。キャロル夫人は建築デザイナーでスワードのみならず、コディアック等でもキャロル夫人のデザインした家を沢山見ることが出来ました。キャロル夫人の前夫との間にできた娘さんは日本人と結婚されており大の親日家です、3人?のお孫さんの写真も見せて頂きました。


クラーク市長は下記写真の様に断崖の上に家を建てられ、そこから見る眺めは、夏、豪華客船が寄港し賑あう港を眼下にし、周りには氷河を頂く山々が見え世界一の眺望と思いました。、

その家は、クラーク市長の想い出のモーターホームをそっくり入れる入れる様にキャロル夫人が設計し建てられていました。  私は腰に痛みを感じますので重いトランクはクラーク市長にすべて運んで頂きましたが、お年を聞いてびっくりし恐縮しました。なんと私より3才年上の75才との事でした。

私のホームステイ中はクラーク夫妻がお忙しい中、市内見物、ハリバット(大鮃)釣りの為の早朝からランチボックスを作って頂くなど、大変御世話になりました。

クラーク夫妻は20069月の北大130周年記念祭には是非日本と北大を訪れたいとの希望でした。



(7)帰国後、クラーク氏と関係ある方々と連絡

◎北大・総務部・国際交流課・企画掛  梶本氏と連絡

 北大・総務部に電話、北大とクラーク家と交流がどの様になっているか問い合わせしましたら、梶本氏から連絡あり、北大を訪問された親族の年月日を記入したクラーク家の家系図をFAXして頂きました。又、北大130年記念式典(20069月)は現在計画を立てる段階では無い。クラーク氏がお見えになるときは連絡して下さい。との連絡を受けました。

◎恵迪創刊号のクラーク先生の「大志と野望」と題された文を読み直し、著者の佐山峻様に電話でクラーク家との長い関わりを直接お聞きできました。

◎放送大学学長(前125周年記念祭当時の北大総長)丹保氏に125周年記念行事にクラーク家家族を招待したか問い合わせしました。
125年記念行事には外国人は一人も出席されていないとの返事を頂きました。

一年後輩の小泉守氏に、クラーク氏の話しをしましたら、恵迪東京大会が9月下旬にあるので、その折り「クラーク氏を囲む会」等の企画を提案して見るとの事でした。(私は丁度その時期、帯広市役所に砂川市長・鈴木議長を表敬し、市民の会の皆様が一席設ける事になっており恵迪大会には参加出来ません)

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大園様
スワード市は貴方の姉妹都市関係での関与に感謝し、この贈物を貴方に差し上げることを光栄に思います                              スワード市


   







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