1968・3月 帯広市とスワード市の正式姉妹都市締結から  
      2002・9月 砂川 帯広市長 表敬訪問まで

1972.6.21 北海道新聞記事
トップページへ 戻る 次へ

 @1972S.476/21北海道新聞夕刊スワード市からの贈り物当時、江部乙(現滝川北)高校に勤務していた兄・大園嘉之はこの記事で、1968S.433月、帯広市とSeward市が姉妹都市提携したことを知り、私宛に新聞を送付してくれました。この記事を見て、私が兄にSeward市の依頼文を手紙してから約1年でのスピーディな姉妹都市提携を知り、(その間5年、私達兄弟はその進展を知りませんでしたので)大変嬉しく思い、北海道新聞社に手紙しました。

1972.8.6 北海道新聞記事

1972S.478/06  北 海 道 新 聞

姉妹都市、縁結びに私も一役」「大園さん北海道新聞社へ手紙

一家での北海道観光の途中、1972S.478/08帯広市着、8/09に帯広市
関係者に会うことになりました。

 B  1972S.478/10日 北 海 道 新 聞

スワード市に話の花」「姉妹縁結びの“仲人”来る

記事のように、家族4人(大園 雍彦・芳子・朋浩・えりか)が8/9日・帯広市市役所を訪れ、木呂子助役、山本議長、水野市経済部長、帯広市市議会議員などと会談しました(市長は札幌出張中で不在)その折り、Seward市長も帯広に来る1972S.4710/01 開基90年記念式典に是非出席するよう依頼されましたが、当日仕事の関係でどうしても出席できず、残念な思いをしました。

1972.8.10 北海道新聞記事

 妻芳子の父は十勝支庁長も勤め、S.28(1953)頃、妻芳子も帯広柏葉高校で学んでいました。

 私の母も長い間帯広に兄と共に住み、帯広で亡くなり、葬儀も帯広で行いました。

 私の家族は帯広に深い縁があり、私は帯広を第2の故郷と呼び、帯広を訪れるたびに安堵感に包まれます。   

 その後私と帯広市やSeward市は30年間、縁が切れていました。

 C恵迪寮入寮50周年記念同窓会(白老温泉)と勝農林科卒業50周年記念同窓会(幕別温泉)に出席する際、帯広国際観光課にその後のスワードとの関係を電話問い合わせをしました。
及川係長に30年前の資料を捜して頂き、
2002H.149/27国際観光課菅尾課長と会談 
砂川帯広市長を表敬訪問
する事になる

2002.9.28 北海道新聞記事

2002.9.28  北 海 道 新 聞 記 事 スワード市との橋渡し役  大園 さん帯広訪問          

200.10.3 十勝毎日聞記事

2002.10.3   十 勝 毎 日 新 聞 記 事 純朴な交流続けて 千葉の大園 さん訪帯
            

の表敬訪問の際、来年2003年にスワード開基100周年に帯広市が招待されている。

是非参加して下さい。とのお誘いがあり、
36年振りのスワード訪問を決意する。

トップページへ 戻る 次へ

帯広市&スワード市との交流(2)